古河と鎌倉2
1455(享徳4)年、鎌倉公方だった足利成氏が享徳の乱で古河の地にたどり着き、古河に鎌倉の文物を移入した。そして、公方の御座所・古河(古河公方)の名を天下にとどろかせ関東の政権は鎌倉と古河のふたつに二分された。その後、古河公方は130年(五代)続くが、次第に勢力が衰え、小田原北条氏の勢力下になった。北条氏と古河公方の結びつきをみた小弓義明は、里見義堯に命じて鎌倉に侵入させ、鶴岡八幡宮を焼き払い神宝を奪い取ったと伝えられている。 (写真)鶴岡八幡宮の舞殿御屋根の沓石と敷石